ソフトを開発しようと思った動機、背景
「選択肢」や「謎解き」は過去の遺物、物語を楽しむ障害でしかない──「ノベルゲーム」全盛の時代におけるそうした主張に、真っ向から立ち向かう「アドベンチャーゲーム」としてこの作品は開発されました。「ノベルゲーム」における選択肢は「どっちを読む?」であり、それは複数の準備された物語のうちどれを読むかの選択か、あるいは片方が足止め(ゲームオーバー)でしかありませんでした。確かに、そのような選択肢ならない方がましですし、一度選んだ「足止め」は二度と引っかかりませんから、二度目からは「ゲーム」でさえありません。
しかし、「アドベンチャーゲーム」における選択肢の意義は「どうやって進む?」なのです。ありふれた行動(取る、使う)を「いつ、どの手順で」行使するかによって自分の行動を組み立て、「解決策」を見つけ出す。そのためには「自分にはどんな行動ができるのか?」「いつ行動を起こすべきなのか?」という思考が要求されますし、その思考はノベルゲームとはまったく異なるものです。
しかし、その思考が楽しくない──片っぱしからすべての選択肢を選ばせたり、ゲームオーバーの選択肢をただ避けてゆくだけ──そうしたゲームが乱発されたからこそ、「アドベンチャーゲーム」は衰退したのでしょう。
このゲームは、「アドベンチャーゲーム」としての思考の楽しさ、つまり「立ちはだかる障害に対して、自分の手持ちのカード(行動)をどう使う?」という要素を、あますところなく取り入れています。それでいて、一度解明した解決策は「グローバルスキップ」を使えば自動的に進めますので、何度も同じ謎解きをやらされることもありません。また、一つの場面に複数の解決策がある個所もあり、それによって大きくストーリーは変化していきます。つまり、「解決策を探す」という「アドベンチャーゲーム」本来の楽しみが、ストーリーの分岐という別の楽しみに直結しているのです。これこそが、シナリオ重視型の現代のゲームにおける、「アドベンチャーゲーム」の生き残りの道だと考えます。
プレイヤーにお勧めする遊び方
このゲームは「ストーリーの長さ」ではなく、「ストーリーの幅」に重きを置いています。つまり「一つの場面に多様な解決策、4人の主人公による多角的な視点、全20種類+αのまったく異なるエンディング」といった“幅広さ”です。特にシナリオ展開も、4人の主人公のうち誰が中心に来るかによって、プレイヤーに見えない個所で展開してゆく部分があるため、そこを知りたければ繰り返しプレイする必要があります。とはいえ、心配しないでください。「グローバルスキップ」を使えば、エンディングまで2分とかからないのですから。
この物語について
この物語に出てくる文面を見て、日本の戦争責任を訴えていると考える人がいるようですが、まったくの的外れです。ネタバレは極力避けたいのですが、非道な復讐を正当化する登場人物は、一人残らず自業自得の悲惨な結末を迎えます。我に正義ありと信じて非道を働き、他者にいいように操られる人々の惨めな結果を描くことこそが、この物語の目的の一つでもあります。どうしても疑問に思うなら、作者サイトの過去アーカイブ(2005年6月17日の日記)を参照してください。
http://web.archive.org/web/20070102013712/http://diary5.cgiboy.com/0/MAKIO/index.cgi?y=2005&m=06&d=17
最新バージョンについて
この作品の最新バージョンは、かつてシェアウェア販売されていたものを無償化したものです。特にWindows Vista以降、OS付属のソフトウェアMIDI音源が非常に貧弱になったため、音が異常だったり、無音になってしまったりしていた個所も、本来のサウンドで楽しめます。一度クリアしたことがある方も、ぜひ一度試してみてください。画質や音の違いに驚かれるかもしれません。
(Pleiades Company)