普通に漢文を読む形から入力できる漢文エディタ
生まれが関係するのでしょうが、パソコンと日本語は、まだあまり相性がよくないようです。もちろん日本語処理の難しさは現在も研究が進められている現状からして、よく理解できるのですが、日本語、とくに古典文化などと向かい合っていると、そんな分野にはまるで無関心であるといった態度に疑問を覚えるのも事実です。縦書き表示のワープロが出来ないのはメーカーの怠慢だ、という意見は昔からよく聞きますが、現在も縦書きワープロはごく一部のメーカーが出してくれているだけでしょう。
個人的にいろいろ注文はありますが、筆者は、いや筆者の周辺でワープロやパソコンを扱っている国語教師はいずれも二つの要望を抱いています。一つは古文入力可能なワープロ(つまり歴史的仮名遣いのワープロ)、もう一つは漢文入力可能なワープロです。果たしてこれらのワープロもしくはワープロソフトを広い日本のどこかのメーカーがいずれ開発してくれるのでしょうか?
ワープロは単なる文書清書機ではありません。我々にとって今やワープロは、文章を練り上げ、発想をまとめるための強力かつ便利極まりない道具となっています。ところが先に書いた二つの要望などはむしろ清書マシーンとしてのワープロに重点を置いた使い方なのです。つまりワープロの本道からははずれた、邪道な使い方なのでしょう。現代人の多くは歴史的仮名遣いで文章を書いたりしまいし、漢詩を詠む習慣もなくなっています。それを思えば単なる清書にすぎない、古文を入力したり、印刷したりする作業もある程度我慢するべきなのかもしれません。
しかし、先端技術はそんなに伝統文化に冷淡であってよいのでしょうか?なおかつ筆者は疑問を覚えるのです。
先の二つの要望のうち後者、つまり漢文入力となると、俄然、話は違ってきます。古文の場合は仮名遣いを改めればそれで良かっただけなのですが、漢文となると、語順そのものが日本語と違ってくる(もともと中国語)ため、入力は気違いじみた根気が必要になってきます。その上、文字の大小や位置をそろえたり、印刷の設定に悩まされたり、ワープロを漢文用にセットすることは高等技術というほかありません。
そこで、幾分無謀とも思える試みで作ってみたのが、今から紹介するソフトです。「漢文エディター」……『頼山陽』と名付けたのがそれなのです。